★ 本記事のテーマ
「平家物語」(「源氏vs平氏」ではなく「源氏vs平家」な理由)がわかる
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
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①通説
平家物語(源氏と平家の争い) (通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
★源氏と平家の争い
・1180年から1185年にかけて源平合戦が起きた。
・平清盛による平氏政権が貴族社会を圧迫し、後白河法皇の子・以仁王が源氏に打倒平氏の令旨を出したことが発端。
・源平合戦によって、栄華を極めた平家の一族は壇之浦で滅び、源頼朝を中心とする坂東(関東)の武士による鎌倉幕府が樹立された。
・源氏が勝利し、源頼朝が鎌倉幕府を開く平家物語などの軍記物語ができ、後世に語り継がれる。
・「平氏にあらずんば人にあらず」という傲慢な姿勢が、反感を生み出した象徴。- 平清盛による権力の独占は、貴族や武士の不満を招き、衰退の原因に。
・1180年から1185年にかけて源平合戦が起きた。
・平清盛による平氏政権が貴族社会を圧迫し、後白河法皇の子・以仁王が源氏に打倒平氏の令旨を出したことが発端。
・源平合戦によって、栄華を極めた平家の一族は壇之浦で滅び、源頼朝を中心とする坂東(関東)の武士による鎌倉幕府が樹立された。
・源氏が勝利し、源頼朝が鎌倉幕府を開く平家物語などの軍記物語ができ、後世に語り継がれる。
・「平氏にあらずんば人にあらず」という傲慢な姿勢が、反感を生み出した象徴。- 平清盛による権力の独占は、貴族や武士の不満を招き、衰退の原因に。
平家の栄華と滅亡から源氏の鎌倉幕府へ時代が進む
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
- 「源氏vs平氏」ではなく「源氏vs平家」なのか?
- なぜ滅亡した平家の話を後世に伝えたいのか?
(本来滅亡したら、事実は抹消されることが多々ある)
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
真相
★ 「源氏vs平氏」ではなく「源氏vs平家」なのか?
実は、源氏側で戦った平氏、平家側で戦った源氏がいた。
平家とは太政大臣で貴族まで上り詰めた平清盛一族のことで平氏全体ではない。
源氏に従った平氏 | 平家に従った源氏 |
北条時政(平氏(伊豆)) | 源頼政 |
土肥実平(平氏(相模)) | 源季貞 |
熊谷直実(平氏(武蔵)) | 新田義重(源義家の孫) |
血統どうしの争いと思われがちであるが、源氏に従う平氏やその逆もいた。
それはなぜだろうか?。
それはなぜだろうか?。
★ 源氏と平家の争いの真相
- 源氏と平氏の血統の争いではなかった。源氏と平清盛一族の平家との争い。
- 平家が滅亡したが、平氏は滅亡していない。平家物語を平氏が読むものとなった。
- 源氏も平氏も天皇直系の武士団の棟梁として、新田の田畑の相談対応をしてきた。
- しかし、平清盛が太政大臣になり、平家(平清盛一族)が貴族化したため、新田の対応をしなくなり、平家を棟梁として新田の農民は源氏側につく。
- 一方、後発で自ら新田開発したものは平家側につく。平家についた源氏である新田義重(苗字が「新田」)というくらい。
- 源平合戦のトップは確かに、源氏と平家であるが、中身は源氏側は主だった平氏と、平家側新たに味方についた方との戦いとなった。
こう考えるとなるほどと分かりますね!
まとめ
「「平家物語」(「源氏vs平氏」ではなく「源氏vs平家」な理由)がわかる」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相