★ 本記事のテーマ
皇居にある文官像「和気清麻呂」
教科書で習わない和気清麻呂の偉大な功績
教科書で習わない和気清麻呂の偉大な功績
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
①通説
和気清麻呂(通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
すいません、「和気清麻呂?」どちら様?
教科書にあったかなあ。。。
試験に出たことないしなあ。。。
教科書にあったかなあ。。。
試験に出たことないしなあ。。。
皇居の像は2つあるが、そのうちの1つが和気清麻呂。
何で、皇居の像になった人なのか?知らない。。。
何で、皇居の像になった人なのか?知らない。。。
だと思います。
「現代の日本人は俺のこと知らんのかい!!」
って和気清麻呂が怒っているかもしれません(笑)
って和気清麻呂が怒っているかもしれません(笑)
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
日本は何度も危険を冒してでも対岸の朝鮮半島へ乗り出したのか?
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
現代の教科書では詳しく扱われていないが
皇居にある2つの像のうちの1つが和気清麻呂像である。
和気清麻呂が皇居の像になるほどの功績は何か?
皇居にある2つの像のうちの1つが和気清麻呂像である。
和気清麻呂が皇居の像になるほどの功績は何か?
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
考えるポイント
★ 日本の天皇による「シラス統治」という背景を意識すると彼の功績がよくわかる!
真相
- 和気清麻呂は垂仁天皇の子孫で奈良時代後半に活躍。
- 孝謙上皇の病気を治した僧侶道鏡に高い評価し、道鏡が強い政治権限を握るようになった。
- 最高の政治権力を持った道鏡が自ら天皇になる野望を持った。
- 僧侶道鏡が「自らを天皇にせよ」という神託を捏造した際、和気清麻呂は宇佐八幡宮(大分県)に派遣され、「皇位は必ず皇族が継ぐべし」という正統な神託を持ち帰った。
- 和気清麻呂によって天皇制の正統性を守り、国家の危機を回避した。
- 道鏡が激怒し、ひどい改名と流罪になったが、道鏡が政治から排除された後、赦され、平安京遷都の造営に貢献し桓武天皇を支えた。
★ 大事なポイント
ここで大事なのは、
- 我が国は始まって以来、天皇と臣下の区別は定まっており、臣下が天皇になった例はないこと。
- 天皇は権威、天皇が任命したものが政治(権力)をもつ「シラス統治」が日本のベースであること。
- 「シラス統治」構造を崩そうとした道鏡の企みを神のお告げを活かして阻止したこと。
- 権力も権威も持つものが国家を支配すると、戦乱の世になってしまう。日本はこれを古代から回避してきたこと。
- 現代の社会では「シラス統治」による平穏だった日本の歴史の重要さが教えられていないので、知っておくことが大事。
- 和気清麻呂は天皇制を保持したことだけでなく、その後も他国に比べて平穏な日本国家体制につなげた点が、皇居の銅像につながっていること。
2600年も日本は一度も国家が興亡したことはなく、他国に比べて平穏に暮らすことができた。だから、産業革命以前までは世界トップクラスの豊な国でもあった。その土台を支えた1つの功績と言えます。
まとめ
「皇居にある文官像「和気清麻呂」
教科書で習わない和気清麻呂の偉大な功績」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相