★ 本記事のテーマ
白村江の戦いの真実!
古代も現代も自国の安全保障を考える必要がある
古代も現代も自国の安全保障を考える必要がある
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
真相はわからない!
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①通説
白村江の戦い(通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
- 663年に朝鮮半島の白村江で起きた、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争。
- 唐・新羅連合軍が百済を攻め日本に援軍を要請。
- 中大兄皇子(後の天智天皇)が指揮。
- 日本から3万近い兵士を出兵。1万人以上が戦死。日本・百済連合軍は大敗。
- 日本は朝鮮半島から完全撤退し、百済は滅亡。
教科書では飛鳥時代は国内の政治がほとんどで、
たまたま海外との戦いが起きた程度の印象しかない。
たまたま海外との戦いが起きた程度の印象しかない。
と思います。
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
- 白村江の戦いはなぜ起きたのか?
- 当時の朝鮮半島、中国、日本との関係は?
- 日本史に少ない外国との戦いで、この戦いでの重要性があまり教えられていないのが現状。
- この戦いから我々は何を学べばよいか?
- 日本は律令国家を形成するが、白村江の戦いから影響があったのか?
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
白村江の戦いから大事なことは学べないのか?
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
考えるポイント
★ 古代の日本をとりまく環境(安全保障)
下図で解説します。
- 常に超大国中国・朝鮮からの脅威があった。
- 中国が内乱状態の場合は、脅威は下がる。
- 中国に超大国ができたときは脅威が上がり、独立維持したい日本は使いを送っていた。
- 中国と朝鮮が手を組んで日本側を攻める状況が最悪の状況で、白村江の戦いはこの最悪な状況になってしまった。
蘇我氏出身の聖徳太子が、蘇我氏が狙う政治をしなかったのは、常に外交リスクが強く、ひ弱な日本を強い国家体制にしなければならないとわかっていたから。その最悪なシナリオが現実味を帯びたのが聖徳太子の時代から50年後に起きた白村江の戦いだった。
飛鳥時代は国内の話が多いのですが、常に外交からのリスクに神経を使っておかなければいけない時代でした。なぜなら、中国は隋⇒唐と超大国が立て続けに建国されたことと、朝鮮には強国高句麗と難癖をつける新羅と、日本にとって大事なパートナーである百済があったためです。
真相
白村江の戦いについてまとめます。
- 戦乱の中国から市民や敗残兵が朝鮮半島や日本に逃げ込むと社会が混乱するため、朝鮮半島にあった3つの国(高句麗、新羅、百済)を日本の緩衝地帯として安全担保していた。
- 隋は騎馬民族の高句麗を滅亡させようとしたが苦戦。その後618年に隋が滅亡。
- 隋の後、中国に強大な軍事国唐が建国(618年)。唐は隋が高句麗の苦戦を知り、高句麗を挟み撃ちするために唐が新羅と手を組んだ(遠交近攻戦略)。
- 百済を日本が救援し3年戦う。日本は4万人のうち1万人が戦死。(当時日本の人口500万人。現在でいうと25万人が戦死という大惨事とわかる)
- 669年に新羅が唐の支援で高句麗が滅亡。次は唐が新羅を攻めることは明らかで、唐が日本に攻め込んでくるのは時間の問題と大きな危機となる。
- 日本は絶対的防衛圏を日本海側に敷く必要が出てきた。国内も小さな豪族の集合体ではなく唐のような統一国家が必須。
古代から日本は自国の安全保障のため、朝鮮・中国との関係を常に意識し、日本に攻め込まれないよう、常に目を見張り、国家体制を整えてきた。
まとめ
「白村江の戦いの真実!
古代も現代も自国の安全保障を考える必要がある」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相