★ 本記事のテーマ
織田信長の強さがわかる
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
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①通説
織田信長とは(通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
- 武術に長け、今川氏を討つ(桶狭間の戦い)
- 楽市・楽座による経済改革
- 火器戦術の革新(鉄砲を使った長篠の戦い)
- 宗教勢力の排除と中央集権化(比叡山延暦寺焼き討ち)
- 外交と文化の開放性(キリスト教、南蛮貿易)
- 足利将軍の追放と幕府滅亡
- 安土城の築城と天下統一への道
- 本能寺の変
単なる武力による支配ではなく、制度・経済・文化・技術の面で近世日本の基盤を築き、その革新性は豊臣秀吉・徳川家康にも影響を与えた。
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
- 織田信長といえば「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」と謳われるほど残虐、冷酷、短気なイメージが強い。
- 圧倒的な武力の高さで全国統一を図る信長であるが、武力や冷酷さだけで全国統一・支配ができたのだろうか?
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
戦国の風雲児としての印象が強いが、それだけで天下統一ができたのだろうか?
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
★①織田信長の考え
- 「天下布武(てんかふぶ)」の「武(たける)」は竹のように真っすぐにすることから、天下の歪みを正しく真っすぐにしたい思いがあったと考えらえる。
- 日本はもともと、朝廷を中心としてまとまった平和な国。戦国時代を終わらせ、泰平な世にしたかった。
★②織田信長の知恵
- 尾張国の安定さや地理的優位性によって人が信長のところに集まって来た。
- 信長のもとに集まった大勢の武士を食わす米がないため、市場からみかじめ料を取っていた者を武力で追い払い、そのお金で米を調達。商人も安心して市場で商売できたためさらに人が集まった。
★③織田信長のしたたかさ
- 正親町天皇は武勲を称え、尾張と美濃にある朝廷の御料地を回復させ、宮廷経費を献上。
- 御所の造営、親王の元服の実施など天皇の要望を次々実現した。
- 将軍側から室町幕府の再興を信長に依頼し、上洛した。
- 信長の朝倉攻めの際、天皇が信長に肩入れすることが鮮明になった。この戦いは天皇の勅命により和睦が成立。信長も重要な場面で天皇の力を借りた。
- 伊勢神宮の内宮の遷宮が120年ぶりに復興。石清水八幡宮や熱田神宮へ多額の寄進をし保護した。
以上から、
一匹狼な支配者というよりは、一戦国大名として将軍・天皇の力を借りるしたたかさがある。
冷酷な支配者で武力があるなら、朝廷も天皇も追放し自分が支配者になればよいが、そうはしなかった。これは、日本を戦乱から統一し泰平にするには、天皇を最高権威とする対応がよいとわかっていたからと考えることができる。
全国で戦乱という戦いがある時代でも、朝廷・天皇が存続していた点は他国からすれば異様です。それはこの統治方法が安泰であると日本人としてわかっていたからでしょう。
まとめ
「織田信長の強さがわかる」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相