★ 本記事のテーマ
執権「北条氏」が15代も続いた理由
鎌倉幕府を支えた北条氏
鎌倉幕府を支えた北条氏
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
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①通説
執権北条氏とは(通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
- 北条氏は、鎌倉幕府において将軍を補佐する「執権職」を世襲し、事実上の政権運営を担った一族。
- 源頼朝の妻・北条政子の実家として台頭し、約150年にわたり武家政権の中枢を握った。
- 源氏将軍が3代で途切れた後、後鳥羽上皇による承久の乱を撃退。幕府の全国支配体制を確立。
- 武家法典「御成敗式目」を制定し、法治国家としての基盤を整備。
- 元寇(文永・弘安の役)に対応し、武士の軍事力を全国に拡張。
- 元寇による財政悪化と恩賞不足、御家人の困窮と制度疲労、永仁の徳政令などで幕府時代が終焉。
鎌倉時代を支えた将軍ではない執権の北条氏
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
- 名もなき一介の一族(北条氏)はなぜ、150年も鎌倉幕府をつなぐことができたのか?
- なぜ北条氏は天皇や将軍になろうとしなかったのか?
- なぜ鎌倉幕府が崩壊したのか?
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
将軍ではない執権の北条氏がどのように鎌倉幕府を仕切ってきたのだろうか?
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
- 征夷大将軍は天皇の血族であり、天皇から任命を受けなければならない。名もなき北条氏が将軍や天皇化すると政治支配が転覆する危険があった。
- 北条氏はあくまで、執権の地位として政治支配した。そのため、単独政治支配ではなく、御家人との合議を重視。また、皇族将軍を擁立し、朝廷との協調と牽制を両立。
- 承久の乱で天皇制の廃止や北条氏の天皇化も狙えたが、あえてそうしなかった。朝廷の荘園を没収して得た利益を武士へ分配し、鎌倉幕府は地方政権から全国政権に踏み出せた。
- 土地のトラブル調停が多く、武力よりルールで従わせる必要があり御成敗式目を制定した。
- その後、北条氏内外の権力闘争がありつつ、政治維持できた。
- 貨幣経済の急速な普及と元寇によって、幕府の仕組みの根底が覆るようになり衰退。
- 幕府と御家人は御恩と奉公の関係であり、恩賞を土地で与えてきたが、元寇は何も得ない戦だったため恩賞を与えることができず、武士が貧窮する。
- 貨幣経済の浸透により、御家人の土地=農地の保証とする政権が維持できなくなった。御家人の承認との売買で貨幣の代わりに土地を売却し、貧窮する。
- 御家人が貧窮していく。徳政令を出すが効果が出ず、幕府崩壊につながった。
以上から、
将軍ではなく、執権として初の武家政治をやり遂げた北条氏!と評価してもよいのではないでしょうか?
初めての武家政治で、源氏が3代で途絶え、あくまで執権として長年為政した北条氏、満点とはいえないですが、最初だけによくがんばったと思います。やったことないことをどう切り抜くか、悩みながらの時代を切り開いたのではないでしょうか?その知恵を今の我々はもらえているわけですね。
まとめ
「執権「北条氏」が15代も続いた理由
鎌倉幕府を支えた北条氏」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相