★ 本記事のテーマ
室町幕府の将軍足利氏が
15代も続いた理由
15代も続いた理由
★おさえておきたいポイント
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!
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①通説
室町幕府の将軍足利氏とは(通説)
教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!
- 鎌倉幕府を倒し、建武の新政を経て幕府を創設。
- 室町幕府は1338年、足利尊氏によって創設された武家政権。
- 日明貿易を開始し、室町幕府の最盛期を築く。
- 各地の守護大名が戦国大名化し、応仁の乱を経て戦国時代に突入。
- 戦国時代の中、室町幕府は継続するも織田信長によって幕府は滅亡した。
室町時代を支えた将軍足利氏
➁通説に対する疑問点・気になる点
調べると気づく疑問点
参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!
- 将軍足利氏がなぜ15代も続けることができたのか?
- どのように幕府を運営していたのか?
- 将軍家足利氏はとてつもない権力や財力をもって支配していたのか?
いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!
鎌倉幕府の執権北条氏のように室町幕府の足利氏が長期にわたり政治支配できたのはなぜか?
真相を説明します。
➂通説を検証して見えた真相
★①室町幕府ができるまで
- 北条氏の御家人だった足利尊氏(源氏の血統)が謀反し、倒幕化する(足利家は将軍になれる家柄で、天皇の命令で倒幕は大義名分として使え、多くの御家人が支持してくれる確信があった。)
- 鎌倉幕府倒幕後、流罪から逃げた後醍醐天皇が京で建武の新政を試みた。しかし、王政復古や武士への恩賞配分の不公正さなど考えが合わず。
- 当時、天皇家は、大覚寺統(後醍醐天皇)と持明院統(光厳・光明天皇)に分裂。
- 足利尊氏は京都を軍事制圧し、天皇家の分裂を利用し、光明天皇をたてて、征夷大将軍となった。
★②室町幕府の運営
- 鎌倉幕府のような将軍と御家人の強い結束がなかったため、武士たちへの支持を得ようと荘園や公領の年貢の半分を与えた。
- 足利家は将軍家といえども、資産や権限が莫大にあったわけではなかった。
- 「二十一屋形」と呼ばれる守護大名や、洛中警察についても大名の兵力に依存し、支えられていた。
以上から、
将軍で将軍が全てを支配するのではなく、将軍と大名が互いに補完し合う体制であった。これはシラス統治が前提にあるから大名も納得して支えたと考えられる。
まとめ
「室町幕府の将軍足利氏が
15代も続いた理由」を解説しました。
- ①通説
- ➁通説に対する疑問点・気になる点
- ➂通説を検証して見えた真相