佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?(実は、列強から仕掛けられた内戦だった)

本記事のテーマ

佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?
実は、列強から仕掛けられた内戦だった

おさえておきたいポイント

  • ①通説
  • ➁通説に対する疑問点・気になる点
  • ➂通説を検証して見えた真相
学校や試験対策の社会では、
真相はわからない!
自分で調べて考え抜く
本当の社会科を勉強しよう!

①通説

戊辰戦争(通説)

  1. 薩長の「尊王攘夷」 vs 会津の「佐幕開国」 が明治維新、戊辰戦争につながった。
    ●「尊王攘夷」: 天皇を中心 外国を打ち払う
    ●「佐幕開国」: 幕府を中心 外圧に屈して開国
    勅許(天皇の了解)を得ずに開国し、薩長(天皇側)と幕府が対立した
  2. 1868年~1869年にかけて日本全国で展開された内乱
  3. 鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城、会津戦争、箱館戦争
  4. 新政府の勝利により、明治政府が発足、藩閥体制から近代国家への移行
幕藩体制から近代国家へ移行を決定づける内戦

➁通説に対する疑問点・気になる点

調べると気づく疑問点

参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

シラス統治をベースとする日本を考えると、
実は、
薩長の「尊王攘夷」も会津の「佐幕開国」も
同じ「尊王開国」派であることに気が付きませんか?
  1. 薩長の「尊王攘夷」 が勝利して、明治政府を作るが、開国・近代化している。
    →  「尊王開国」だった。
  2. 会津の「佐幕開国」において、幕府はそもそも天皇が任命した政権。
    →  「尊王開国」だった。
  3. 戊辰戦争の犠牲者は1万人程度(フランス革命は百万人程度)と少なかった。
対立する2対、実はどちらも「尊王開国」派で意見が一致していた。
にもかかわらず、なぜ日本国内で内戦が起きたのか?

いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

真相を説明します。

検証して見えた真相

2つのポイントがあります。

①確かに孝明天皇は攘夷派。天皇に開国の大切さを伝えるなり、次の天皇に即位していただくなり、開国をお願いすることができたはず。
②列強からの外圧によって戊辰戦争が勃発したのではないか?

詳しく挙げてみましょう。

  1. 確かに、孝明天皇は開国に大反対な攘夷派であったが、逝去後、若い明治天皇が即位。政治的経験が乏しく、薩長政権の意向に沿う形で開国政策を進めた。
    天皇の御意向で開国側になれば、戊辰戦争は必要なかった
  2. 不要な戦争はむしろ「外圧から仕掛けられた」と考えた方が筋が通る。
  3. 大政奉還により天皇を中心とする政府をつくる必要がある時期は日本は不安定でもあった。
  4. 内乱が起こりやすい不安定な国は列強にとって植民地化する絶好のチャンスでもある。
  5. 武器を朝廷側(フランス)、幕府側(イギリス)に共有して大儲けしつつ、日本を弱体化させ、植民地化する狙いがあれば不必要だった戊辰戦争に巻き込まれた理由が説明つく。
戊辰戦争は仕掛けられた不必要な戦争だった。
それでも、列強の思惑に乗って植民地化されず、明治政府が誕生した。

まとめ

「佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?
実は、列強から仕掛けられた内戦だった」を解説しました。

  • ①通説
  • ➁通説に対する疑問点・気になる点
  • ➂通説を検証して見えた真相
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