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  • 明治政府 近代化に必要な財源をどうやって確保したのか?がわかる

    明治政府 近代化に必要な財源をどうやって確保したのか?がわかる

    本記事のテーマ

    明治政府 近代化に必要な財源を
    どうやって確保したのか?

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    明治政府の財源(通説)

    1. 武士への俸禄支給(秩禄)を廃止し、国家歳出の大幅削減を実現。
    2. 江戸時代の年貢制度を廃止し、地価の3%を税率とし、全国統一の税制を確立。
    3. 明治初期の歳入の約80%が地租によるもので、国家財政の柱。
    4. 財源不足のため、政府紙幣(太政官札)を発行。
    5. 官有地、官営事業を払下げ、民間化。
    6. 戦時の財源調達
      ・日清戦争後の賠償金
      ・日露戦争の外債を活用した戦費調達
    重工業化や軍備拡張の財源となり、近代国家形成の加速要因

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    文明開化、富国強兵、殖産興業とスローガンを掲げるが、その財源は国内で十分賄えたのか? いや、それは無理だったのではないか?
    1. 西洋からの近代技術、重工業などは高価である。
    2. 一方、幕末に、金銀比価問題で大量の金銀が海外に流出。
    3. 当時貿易は銀貨で実施。
    4. 確かに、地租改正や官有地の売却もあるがそれでも財源は足りない。
    5. 列強に借り入れすると、借金漬けになり、植民地化されるリスクが高まる。
    6. 軽工業から重工業とはいえ、金額の桁数が違う(洋服で軍艦は買えない。
       (現在換算で洋服1万円、軍艦1000億円 毛織物で数千億円も貿易収益出せるか?)
    財源がなく、海外からの借り入れができない明治政府。
    殖産興業、富国強兵を可能にした財源はどこから来た?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    国内の改革による財源確保はできたとはいえ、近代化・重工業化には桁数が異なる財源確保が必須。
    とはいえ、莫大な財を得るものが国内にはない。(金銀も大量に流出)
    財源はどこから手に入れたか?
    1. 列強にとって日本がロシアの南下・アジア進出に対しての障壁とした方がベター。
    2. 列強にとって日本は中国清ほど侵略するほとの魅力がない(人口は多いが、鉱資源、農作物が少ない)。
    3. 日本は近代化のための輸入に必要な銀が底をついていた。
    4. イギリスはアヘンで清から銀の回収ができた。だからアジア進出を強めた。
    5. 日米修好通商条約で日本へのアヘン交易は禁止、各列強も同内容で締結。
    教科書で明記していないが、植民地支配を回避する上でイギリスと手を組む手段として日本もイギリスと同じやり方で外貨・金銀を獲得し、近代化を成功させたと考える。

    まとめ

    「明治政府 近代化に必要な財源を
    どうやって確保したのか?」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?(実は、列強から仕掛けられた内戦だった)

    佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?(実は、列強から仕掛けられた内戦だった)

    本記事のテーマ

    佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?
    実は、列強から仕掛けられた内戦だった

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    戊辰戦争(通説)

    1. 薩長の「尊王攘夷」 vs 会津の「佐幕開国」 が明治維新、戊辰戦争につながった。
      ●「尊王攘夷」: 天皇を中心 外国を打ち払う
      ●「佐幕開国」: 幕府を中心 外圧に屈して開国
      勅許(天皇の了解)を得ずに開国し、薩長(天皇側)と幕府が対立した
    2. 1868年~1869年にかけて日本全国で展開された内乱
    3. 鳥羽・伏見の戦い、江戸城無血開城、会津戦争、箱館戦争
    4. 新政府の勝利により、明治政府が発足、藩閥体制から近代国家への移行
    幕藩体制から近代国家へ移行を決定づける内戦

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    シラス統治をベースとする日本を考えると、
    実は、
    薩長の「尊王攘夷」も会津の「佐幕開国」も
    同じ「尊王開国」派であることに気が付きませんか?
    1. 薩長の「尊王攘夷」 が勝利して、明治政府を作るが、開国・近代化している。
      →  「尊王開国」だった。
    2. 会津の「佐幕開国」において、幕府はそもそも天皇が任命した政権。
      →  「尊王開国」だった。
    3. 戊辰戦争の犠牲者は1万人程度(フランス革命は百万人程度)と少なかった。
    対立する2対、実はどちらも「尊王開国」派で意見が一致していた。
    にもかかわらず、なぜ日本国内で内戦が起きたのか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    2つのポイントがあります。

    ①確かに孝明天皇は攘夷派。天皇に開国の大切さを伝えるなり、次の天皇に即位していただくなり、開国をお願いすることができたはず。
    ②列強からの外圧によって戊辰戦争が勃発したのではないか?

    詳しく挙げてみましょう。

    1. 確かに、孝明天皇は開国に大反対な攘夷派であったが、逝去後、若い明治天皇が即位。政治的経験が乏しく、薩長政権の意向に沿う形で開国政策を進めた。
      天皇の御意向で開国側になれば、戊辰戦争は必要なかった
    2. 不要な戦争はむしろ「外圧から仕掛けられた」と考えた方が筋が通る。
    3. 大政奉還により天皇を中心とする政府をつくる必要がある時期は日本は不安定でもあった。
    4. 内乱が起こりやすい不安定な国は列強にとって植民地化する絶好のチャンスでもある。
    5. 武器を朝廷側(フランス)、幕府側(イギリス)に共有して大儲けしつつ、日本を弱体化させ、植民地化する狙いがあれば不必要だった戊辰戦争に巻き込まれた理由が説明つく。
    戊辰戦争は仕掛けられた不必要な戦争だった。
    それでも、列強の思惑に乗って植民地化されず、明治政府が誕生した。

    まとめ

    「佐幕開国vs尊王攘夷による戊辰戦争?
    実は、列強から仕掛けられた内戦だった」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 大政奉還と明治維新が列強の圧力に屈せずに成功できた理由かる

    大政奉還と明治維新が列強の圧力に屈せずに成功できた理由かる

    本記事のテーマ

    大政奉還と明治維新が
    列強の圧力に屈せずに成功できた理由かる

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    大政奉還と明治維新(通説)

    1. 大政奉還(1867年)とは徳川慶喜が政権を朝廷に返上した出来事で、約260年続いた江戸幕府が終焉。
    2. 幕府の統治力低下や、列強国からの外圧による危機が原因である。
    3. 明治維新(1868年〜)とは明治政府による近代国家建設の一連の改革である。
    4. 明治天皇が主導者とし、中央集権国家の構築と近代化を進めた。
    大政奉還は「権力の平和的移譲」
    明治維新は「制度的刷新と国家再設計」
    の象徴

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    1. なぜ徳川慶喜は大政奉還し、江戸城の無血開城に成功できたのか?
      「朝廷から権力を預かって政治を行う」武士社会が700年も続けてきた。
      権力を保持するのが常であり、反対派と内戦する選択肢もあった。
    2. 江戸幕府がなぜ権力・政治の私物化せずに、明治天皇に政権を返上したのか?
      朝廷は700年も政治運営していなかったが、なぜ明治維新で天皇中心の政治体制がスムーズにできたのか?
    3. なぜ、列強国の圧力に屈せず明治政府が誕生できたのか?
      大国清は列強の植民地化されたが、小国日本は植民地化されなかった。
    4. 戊辰戦争の犠牲者は1万人程度(フランス革命は百万人程度)と少なかった。
    当時、それほど大国でもなかったアメリカに日本が不平等な
    条約を結ばざるを得ない理由はないが、なぜか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    革命がおきた出来事であるが、犠牲者をほとんど出さず、列強からの植民地化も回避できたのはなぜか?

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    1. 日本人の「シラス統治」がベースにあったから
    2. 外国の支配から逃れるため
    3. 徳川家存続と新体制での主導権を握る狙いがあったから

    と3つ理由をあげましたが、
    それぞれの理由を解説します。

    日本人の「シラス統治」がベースにあったから

    日本は長年、独特な「シラス統治がベース」であることが、他国のような国家の危機が来てもしなやかに対応できたのではないでしょうか?
    武家社会が700年も継続した後、すぐに天皇を主導者とした新政府が発足できますか? 普通は無理です。でも、シラス統治がベースにあれば、幕末のような国家の危機があっても、国民のほとんどが1つになって動ける不思議なパワー、関係性を兼ね備えているのです。現代の我々にはなかなかピント来ませんが、歴史を学ぶとわかることです。
    天皇を倒して新政権を企てる者が出現せず。幕府は基本天皇が任命した将軍を軸に朝廷から権力を預かって政治をしてきた。明治維新では、天皇の権威がより高まった。政権交代がスムーズなのは 天皇の権威 平時は存在感がないが、国家の危機になると国民を一致団結させる不思議な力を発揮。 このパワーは西洋にはなく、彼らには理解できない。

    外国の支配から逃れるため

    国内で内戦している場合ではない!
    真の敵は西洋の列強国だ!
    倒幕派、幕府派どちらが勝手も列強国の植民地化されるだけ!
    中国清を見よ!

    日本は、単一民族かつ、単一言語で、識字率の高さから、本質を見極め、それを共有できた点も一躍かっていたでしょうね。

    徳川家存続と新体制での主導権を握る狙いがあったから

    徳川家のメリットがないと、大政奉還しないのではないか?

    と考えると、

    1. 倒幕派の勢いは凄まじく、将軍・徳川慶喜は「このままでは徳川家が危ない」 負ける危機感があった。
    2. 倒幕派は明治天皇より倒幕の密勅を受け取っていた。
    3. 表面的には「政権返上」だが、実際には新体制での主導権を握る狙いもあった。
      しかし、明治維新で王政復古の大号令が出て、徳川家の排除が決まり戊辰戦争が勃発。

    徳川家も明治政府での存在感をしめそうと企みはしたものの、そううまくいきませんでした。

    アメリカ、イギリス、ロシア、オランダ、フランスと当時の世界の列強と
    不平等条約を圧力によって締結し、日本の国家の危機が一気に高まりました。内戦による国家の衰退、植民地化のリスクもありましたが、最小限の犠牲で明治時代に進めた日本。この出来事から日本、日本人とは何かをよく考えることが大事ですね。

    まとめ

    「大政奉還と明治維新が
    列強の圧力に屈せずに成功できた理由かる」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 幕末に列強と締結した条約がわかる(アメリカ以外にも条約を結んだ)

    幕末に列強と締結した条約がわかる(アメリカ以外にも条約を結んだ)

    本記事のテーマ

    幕末に列強と締結した条約がわかる
    (アメリカ以外にも条約を結んだ)

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    幕末に列強と締結した条約(通説)

    1. 幕末には他国船が日本列島近辺に出現したが追い払ってきた。
    2. しかし、ペリーの黒船の来航により開国せざるを得なくなった。

      1854年日米和親条約、1858年日米修好通商条約を締結。

      内容は、不平等条約で、治外法権・関税自主権の欠如により日本はその後苦しむことになる。

      幕府首脳は開国としたが、諸大名は開国、鎖国で意見が分かれた。

      天皇の勅許(ちょっきょ)があれば国論を統一しようとそれまでなかった動きが出始め、幕府は弱体化していく。

    開国条約によって江戸幕府の弱体化、国家の再編につながった。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    1. なぜアメリカに対して日本が不利となる条約を締結したのだろうか?
    2. 当時のアメリカはまだ、それほどの超大国でもなかった。
    3. アメリカ国内の南北戦争やイギリスとの良好でない関係などがあり、日本に強気な交渉までできなかったのではないか?
    4. アメリカはアジア進出のための貿易港や捕鯨船の補給拠点が必要な程度だった。
    5. ペリー来航時、日本の経済規模は欧米に匹敵しており、対等な条約締結も可能だったはず。
    6. アメリカ以外の列強国(イギリス、ロシア、オランダ、フランス)とも条約を締結していなかったのか?
    当時、それほど大国でもなかったアメリカに日本が不平等な
    条約を結ばざるを得ない理由はないが、なぜか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    もっと、日本にとって脅威なパワーがあったから開国せざるを得なくなったのではないか?

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    教科書には出ないが、列強国とも不平等条約を締結した。

    実際、アメリカ以外に締結した国とその内容をまとめます。

    年代 条約名 相手国 主な内容・特徴
    1854年 日米和親条約 アメリカ 下田・函館の開港、薪水供給、領事駐在の容認。
    1854年 日英和親条約 イギリス アメリカに続いて締結。開港と友好関係の構築が目的。
    1854年 日露和親条約 ロシア 北方領土(択捉・得撫島)の境界を定めた。
    1856年 日蘭和親条約 オランダ 長崎貿易の延長線上で、比較的穏健な内容 。
    1858年 日米修好通商条約 アメリカ 本格的な開国。横浜・長崎・新潟・神戸・函館の開港、領事裁判権、関税自主権の欠如など 。
    1858年 日英修好通商条約 イギリス アメリカに続いて締結。通商権益を強く主張。
    1858年 日仏修好通商条約 フランス カトリック布教の自由を要求。文化的影響も意識。
    1858年 日露修好通商条約 ロシア 領土問題(樺太など)を含む複雑な交渉。
    1858年 日蘭修好通商条約 オランダ 実務的で穏健。長崎貿易の延長。

    アメリカ以外とも条約を締結しており、特に、超大国な
    イギリス
    フランス
    がいます。

    当時、中国では、イギリス、フランスによる植民地支配化が進む悪夢が現実のものとなっており、日本も時間の問題という状況までリスクが迫ってきました。

    また、ロシアも国境を隣接する上で、日本にとって侵略の危機が迫り、急速に成長するアメリカからの圧力も高まる危険な状況といえます。

    1. 列強国におされ、日本がアメリカに対して不利な条約を結んだといえる
    2. 経済、人口は列強に劣らなかった日本だったが、兵器と技術が西洋と飛躍的な差が出てしまい、開国に踏み切る必要があった。
    3. 複数の列強国の同時圧力による植民地支配化リスクが一気に高まった。

    なぜ、アメリカから条約を結んだのか?

    和親条約も修好通商条約もアメリカから締結しています。当時、超大国はイギリス、フランス、ロシアです。日本よりやや下なアメリカを最初に結んだのは結果論かもしれませんが、

    先に交渉しやすいアメリカと締結し、超大国に対して不利な条件をなるべき回避しようと試みたかもしれません。

    逆に、

    先に最強なイギリスと締結していたら、植民地化され、今の日本が変わっていたかもしれません。
    アメリカ、イギリス、ロシア、オランダ、フランスと当時の世界の列強と
    不平等条約を圧力によって締結し、日本の国家の危機が一気に高まった。

    ここで、1つ疑問が出ませんか?

    教科書はなぜ、日米の条約しか教えないのか?

    これも解説します。

    教科書はなぜ、日米の条約しか教えないのか?

    教科書は戦後の日米関係を考慮し、日米条約を強調する傾向がある。

    1850年代当時の国力を並べると
    ●イギリス 最強
    ●フランス 世界2位の強さ
    ●ロシア  国土は最広
    ●アメリカ 新興国だが、それほど強くない
    ●オランダ 欧州の中堅国家
    なので、イギリス、フランスが背後にいて、中国での悪行(アヘン戦争、アロー号事件など)も日本に伝わっていたわけです。

    長い日本国家の中で最大の危機に陥ってしまった。
    では、どうする?
    アジア、中南米、アフリカ諸国のように植民地化されるか?
    それとも、自立を果たそうと挑戦するか?

    大変な時代に突入していくことになります。

    まとめ

    「幕末に列強と締結した条約がわかる
    (アメリカ以外にも条約を結んだ)」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 禁中並公家諸法度を制定した理由がわかる

    禁中並公家諸法度を制定した理由がわかる

    本記事のテーマ

    禁中並公家諸法度を制定した理由
    シラス統治と幕府の政治支配を維持するため

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    禁中並公家諸法度とは(通説)

    1. 徳川幕府は天皇・朝廷・公家を法的に統制し、天皇には宗教的権威、任官などの形式的な政治的権威のみを残し、将軍が実質的な権力を把握する体制をとった。
    2. 禁中並公家諸法度を1615年に制定。江戸時代一度も改正せず。
    3. 天皇に対し、第一に学問を規程し、政治や軍事に関与させなくした。
    4. 後水尾天皇による紫衣事件(幕府の許可なく紫衣を授けた)では、幕府が厳しい対抗措置を講じた。
    幕府が朝廷を統制する仕組みは幕末まで機能した。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    なぜ徳川幕府、天皇を国の君主として位置付けるものの、幕府は政治権力を保持し、天皇・朝廷・公家を監視したのか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    朝廷機能を完全に抹殺して、将軍が国家の大王としてもよかったのではないか?

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    日本の統治のベースを保持しつつ、徳川将軍が長期にできるように考えれた制度だった。。
    1. 日本は古代から「シラス統治」の国であり、天皇を君主としなければならないことは徳川幕府もわかっていた。
    2. シラス統治がベースだから、国民は天皇が任命した将軍が政治をすることに納得し、幕府の考えに合わせた。
    3. 徳川幕府の最大にリスクは、他の大名が天皇と直接接点を持ち、徳川でないものが天皇から政治委任される場合である。だから監視する必要があった。
    4. 天皇や朝廷を抹殺すると中国王朝のように血で争う戦乱になることもわかっていた。
    国民に納得させる上で、天皇から徳川が政治委任する形式を維持しつつ、徳川が政治支配するために天皇側を統制させる必要があった。

    まとめ

    「禁中並公家諸法度を制定した理由
    シラス統治と幕府の政治支配を維持するため」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 「生類憐みの令」は「悪法」なのか?がわかる

    「生類憐みの令」は「悪法」なのか?がわかる

    本記事のテーマ

    「生類憐みの令」は「悪法」なのか?
    人々が互いに労わる精神が育まれた制度

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    生類憐みの令とは(通説)

    教科書で必ず出てきますが、
    本記事で伝えたいことがあります。
    1. 「犬公方」と揶揄された綱吉が定めた法律。
    2. 動物愛護の理念を超えて、当時の社会に深刻な混乱と不満をもたらした。
    3. 犬の保護のために莫大な費用がかかり、幕府の財政を圧迫した。
    4. 綱吉の死後、廃令となった。
    世紀の悪法という印象を語り継がれた。
    そう先生が教えますよね。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    なぜ悪法とされる生類憐みの令を綱吉は発令したのか?
    綱吉はイケてない将軍だったのだろうか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    ズレた政策をして社会を混乱させた将軍だったのだろうか? そういう国もたくさんありますからね。

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    生類憐みの令は今、再評価されている。
    1. 命の尊重を制度化した世界初の試みであり、庶民の倫理観向上に寄与し、治安改善につながった。
    2. 殺人、強盗、捨て子、虐待が横行していた。捨て子・病人・囚人など弱者保護を含んでいた。
    3. 辻斬りなど暴力事件の減少に寄与し、殺生を禁じることで武断主義から文治主義へ転換できた。
    4. 生類憐みの令は捨て子がいれば労わるように、動物に危害を加えることを禁じた。

    5. 人々に労わりの心を醸成するための令であったが、なかなか浸透しないため蚊を殺してはいけないなど行き過ぎた条文が追加され、悪法と揶揄された。
    6. 公衆衛生や治安の改善につながった。

    いかがでしょうか?生類憐みの令が出る前の社会では

    1. 刀の切れ味を試すために人を斬る「辻斬り」は当たり前
    2. 武士は人を斬って給料をもらうものが当たり前
    3. 人を斬るのだから動物も斬るのも当たり前
    4. 戦国時代から間もないから斬るは当たり前
    当時の当たり前なことは
    かなりヤバイこととわかりますし、
    社会が不安定になるのも当然です。

    街中で刀を振り回すことが日常茶飯事では、さすがに困ります。

    生類憐みの令の発令後、過度な殺生は抑えられ
    安心して暮らせるように変わっていきました。
    蚊を殺せない点はキツイですが、社会安定につながった生類憐みの令は再評価されています。

    まとめ

    「「生類憐みの令」は「悪法」なのか?
    人々が互いに労わる精神が育まれた制度」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 国書改竄事件(柳川一件 1605年~)がわかる

    国書改竄事件(柳川一件 1605年~)がわかる

    本記事のテーマ

    国書改竄事件(柳川一件 1605年~)
    外交を考えさせられる良い例

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    柳川一件とは(通説)

    教科書では出てきませんが
    歴史の外交問題を考える上で大事な出来事です。
    しっかり学びましょう。

    柳川一件とは

    1. 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で日朝関係が断絶した。
    2. 地理的に朝鮮との交易に依存していた対馬藩は国交回復は死活問題だった。
    3. その中、李氏朝鮮から「朝鮮出兵のときの朝鮮王陵を荒らした犯人の引き渡し」を対馬藩に要求してきた。
    4. 対馬藩は、無関係な罪人を犯人として差し出した
    5. そこで終わらずに、今度は徳川家康から朝鮮国王への国書提出(外交的には日本の朝鮮への従属を要求)を対馬藩に要求してきた。
    6. 対馬藩主は家康名義の偽国書を作成し朝鮮に提出した。
    7. 対馬藩の対馬藩家老・柳川調興が国書の偽造について幕府に訴えた。

    いかがでしょうか?

    李氏朝鮮は本来、徳川幕府に要求すべきだが、
    対馬藩に圧力をかけてくるところが不条理である。
    それに対して、対馬藩も不適切な対応をとってきた
    それを柳川調興が正そうとした。

    柳川調興の動きは正しいように見えます。

    徳川幕府が出した結論は、
    ●不正をした対馬藩主は無罪とし、
    ●柳川は津軽(青森)に流罪となってしまった。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    ありゃ!
    不正した方を許し
    不正を正そうとした方を処罰するって
    逆じゃないの!!!

    という結果になってしまいました。

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    本来幕府の判断は逆となるべきではないか?

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    確かに、柳川調興の出世欲なり、徳川幕府の仕組みの不備も原因の1つですが、ここで一番伝えたいことは

    1. コウモリ外交する李氏朝鮮は、徳川幕府にとって、そもそも信頼できる相手ではなかった。二枚舌外交は相手の常套手段と分かっていた。
    2. 本来は徳川家康から朝鮮国王への国書提出は対馬藩ではなく、幕府に直接出すべき。1つの藩と李氏朝鮮国家の力の差を悪用した要求であり、幕府は拒否するのは当然の判断であった。
    3. とはいえ、藩主が国書を偽造する幕府の体制の甘さも改善する必要がある。
    外交においては、相手をよく理解し、信頼できる人物と交渉を進めることが重要である。

    これが一番の理由と考えてもよいでしょう。

    単なる歴史上の出来事の1つで片づけずに、相手を熟知し、自分たちにとっての最良な判断をすることが大事とわかる1例です。

    まとめ

    「国書改竄事件(柳川一件 1605年~)
    外交を考えさせられる良い例」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 豊臣秀吉が朝鮮出兵した理由がわかる

    豊臣秀吉が朝鮮出兵した理由がわかる

    本記事のテーマ

    豊臣秀吉が朝鮮出兵した理由がわかる
    最大の理由はスペインが怖すぎたから

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    豊臣秀吉の朝鮮出兵とは(通説)

    教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!

    1592年~1598年に二度の大規模な軍事遠征。
    ● 文禄の役 1592年~1593年
    ● 慶長の役 1597年~1598年
    →秀吉の死去により日本軍は撤退。征服構想は頓挫。朝鮮と明は国力を大きく消耗。日本では豊臣家の威信が低下した。

    出兵の理由

    1. 明国征服の野望:日本国内の天下統一後、次の目標として中国(明)の征服を掲げた。朝鮮はその通路と見なされ、服属と明への道案内を要求したが拒否されたため、出兵に踏み切った。
    2. 国内の安定と武士の統制:戦国時代の終焉により、国内の武力が余剰となったため、外征によって武士の不満を抑え、統制を図ろうとした。
    豊臣秀吉の最後の野望がとん挫し、徳川の時代へ

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    1. 100年続いた戦乱からようやく日本の天下統一したがなぜ外国出兵が必要だったのか?
    2. 太政大臣まで上り詰めた豊臣秀吉。当然、天皇や朝廷からのOKが出なければ出兵はできない。
    3. 日本は海に囲まれており、自然豊かなである。わざわざ明や李氏朝鮮を攻めに行く必要は全くない。むしろ、海外からの攻め込まれた時の防衛だけは必要。

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    秀吉の野望だけで、わざわざ大海を超えてでも戦争がしたかったのだろうか?

    真相を説明します。

    検証して見えた真相

    超大国スペインからの脅威が凄まじかったから。

    これが一番の理由と考えてもよいでしょう。

    1600年頃のスペインは超強国

    産業革命で一気に強くなるイギリスの前は、スペインの時代でした(経済の中心はスペイン⇒オランダ⇒イギリスとなっていきますね。)

    1. 当時世界一の植民地国スペイン
    2. 無敵艦隊
    3. メキシコ、フィリピンを支配、銀の支配、航海も支配
    そんなスペインがアジアまで迫っていました。

    (https://blog.esrij.com/2018/10/19/post-31545/ から引用し一部図を加工)

    16世紀にスペインから日本にキリスト教と鉄砲が伝来しますが、情勢を見たら、日本によって脅威だったと分かりますね。

    スペインが明を滅ぼしたら?

    日本にとっての脅威は明や属国の朝鮮も同じ。
    いくら明が大国でも鉄砲や銀を大量にもつスペインに負けるかもしれない。
    仮にスペインが明を滅ぼしたとしたら、
    属国の朝鮮も自動的にスペイン化する。
    そうなると、日本は四方八方からスペインに攻め込まれる

    (https://blog.esrij.com/2018/10/19/post-31545/ から引用し一部図を加工)

    日本が滅亡する最大のピンチ!
    ヤバイ!となりますよね。

    日本が取るべき戦略は?

    スペインから日本を守るにはどうしたらよいでしょうか?

    となると、

    日本と朝鮮と中国が一体となってスペインに対抗すればいいと分かりますね!

    でも、

    日本と朝鮮と中国が一体となることは難しい!
    じゃー攻め込んで、日本の支配下に置くしかない!
    考えたため、朝鮮出兵したと考えるとなるほど!と納得できますね。

    (https://blog.esrij.com/2018/10/19/post-31545/ から引用し一部図を加工)

    以上から、

    確かに豊臣秀吉の野望なり、
    国内の武士のうっぷんはらしなり、
    いろいろな説がありますが、
    泰平したかった日本がやっと国家統一し平和になる時代を迎えるさなか
    スペインからの最大の脅威をうけることとなった。

    実際はスペインは攻めてこなかった

    ラッキーだったのは、スペインは実は、衰退化しており、明や日本に攻めるほどの体力はありませんでした。単に日本、明、朝鮮の戦いで終わりました。

    まとめ

    「豊臣秀吉が朝鮮出兵した理由がわかる
    最大の理由はスペインが怖すぎたから」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 第1次産業革命がイギリスだけ発生した理由がわかる

    第1次産業革命がイギリスだけ発生した理由がわかる

    本記事のテーマ

    第1次産業革命がイギリスだけ発生した理由がわかる

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    イギリスの産業革命とは(通説)

    教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!

    1. 1760年~1820年
    2. 植民地貿易(三角貿易)で得た莫大な利益による資本。
    3. 毛織物生産強化のために領主が農民を追放し放牧強化した結果、農民が都市に集まり工場労働者が確保。
    4. 機械製造・蒸気機関の発明、都市近郊の石炭(燃料)確保による工場の機械化と大量生産の可能。
    織物の産業革命がイギリスで起こり、世界一の強国の礎となった。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    なぜイギリスだけ産業革命が起こせたのだろうか?
    当時世界の経済の中心はインド、中国のアジア。
    アジア各国でも産業革命が起こせたのではないか?
    ヨーロッパ各国でも同じような産業革命が
    起こせたではないか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    真相を説明します。

    ➂通説を検証して見えた真相

    産業革命発生しやすさを各地域で比較しましょう。

    以上から、

    西ヨーロッパでは産業革命が起こしやすい中、
    イギリスだけ発生した理由がよくわかる

    まとめ

    「第1次産業革命がイギリスだけ発生した理由がわかる」を解説しました。

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
  • 日本の古代からある人質制度がわかる

    日本の古代からある人質制度がわかる

    本記事のテーマ

    日本の古代からある人質制度がわかる

    おさえておきたいポイント

    • ①通説
    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
    学校や試験対策の社会では、
    真相はわからない!
    自分で調べて考え抜く
    本当の社会科を勉強しよう!

    ①通説

    人質制度とは(通説)

    教科書、学校、塾、親から教えてくれる内容は以下ですよね!

    ●人質(ひとじち)は、交渉を有利にするために、人の身柄を拘束することや、拘束された人の事である。
    ●日本史でも人質事例はたくさんある
    1. 百済王子(飛鳥時代):百済復興のため日本が支援し、王子を人質として保護。
    2. 高句麗王子(飛鳥時代):高句麗との外交関係の中で来日。人質的立場で滞在。
    3. 多治比氏(奈良時代):地方豪族で、中央政権との関係強化に人質的役割を果たす。
    4. 足利義満(室町時代):父・義詮が南朝との和睦のために人質として差し出した。
    5. 徳川家康(戦国時代):今川義元へ人質として送られた。後の今川家との同盟の証。
    人質と聞けば、事件性がある良くない話。

    ➁通説に対する疑問点・気になる点

    調べると気づく疑問点

    参考文献やYoutube動画を調べていくと、通説と異なることがわかります。それを陰謀論として片づけてしまってもよいですが、物事は多面的に見て、客観視する必要があります。QCプラネッツは品質管理を専門としています。品質管理は客観視が必須です。同じ姿勢で取り組みます!

    日本史でも人質事例はたくさんあるが、よく事例をみると、
    ●外交関係によるもの
    ●地方豪族と中央政権との関係強化
    ●和睦のため
    ●戦国大名どうしの同盟の証
    など、良好関係を構築する目的が強い!
    双方の良好な関係のために人質を送っている。人質は悪いことなのだろうか?

    いかがでしょうか?疑問が湧きますよね!

    真相を説明します。

    ➂通説を検証して見えた真相

    1. 百済の王子は日本(倭国)で育ち、その後百済の国王になり戻る。倭国と同じ政治体制を百済にも敷くのに双方にとって都合がよかった。(相手国の文化を破壊しない。その国の文化・伝統はそのままで、政治は倭国と同じとなる)
    2. 古代において、近隣諸国の王子は親となる国に集められ、そこで育つため、その後国境紛争になっても王同士の信頼関係で穏便に事を済ませることができた。
    3. 小作人の子供は地主のもとに預けられた。地主の屋敷や農地が大きいため、炊事・掃除・洗濯・料理・裁縫・田植え・農作業・行儀作法などを集団生活の中で教えられる。習った経験を自分の家で実践していった。
    4. ヨーロッパの国室は皆、親戚で国王同士の紛争回避しようとする習慣が広がる。近衛兵は王の下の貴族の息子たちが多く、貴族が王を裏切らないように集められていた。

    以上から、

    1. 「人質」と言えば聞こえは悪い。でも、真相はそうではなかった。
    2. 「人質」よりは現代の「期間限定の出向」に近い。
    3. 奴隷としてこき使われる人質ではなく、平和のための習慣しての人質とみることができる。

    確かに、人質先で問題を起こせば厳しい処分になるでしょうが、
    子供時代、若い時に他国に世話になった、他国に知り合いがいるとなると、いざもめたときも柔軟な対応ができますよね。

    ビジネスパートナー先への期間限定の出向に近いですね。相手がわかるからよい提案もできるみたいなものでしょうね。

    まとめ

    「日本の古代からある人質制度がわかる」を解説しました。

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    • ➁通説に対する疑問点・気になる点
    • ➂通説を検証して見えた真相
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